【春花】
  「司颯さん、わたしならここにいます。
あなたのそばにいます。だから……」

春花の手のぬくもりが伝わると、心なしか司颯の表情にも
安堵の色が浮かぶ。

【春花】
  「だいじょうぶ……もう、だいじょうぶです……
何も恐れないで……」

春花は司颯の手を胸に抱くと、静かに子守唄のような
歌を歌い始めた。

【春花】
 「ら、ら、ら……る、る、る……」

それは母親が子供の健やかな眠りのため……つらいことや苦しいこと、哀しいことをひととき眠りの中で忘れるための歌。
そして眠りから覚めたとき、もう一度立ち上がる勇気を
与えてくれる歌だった。

【春花】
 「ら、ら、ら……る、る、る……」

歌い終えたとき、眠る司颯の表情は長い悪夢から解放されたのか、
とてもやすらかなものになっていた。

【春花】
  (今はお眠りなさい、司颯さん……起きたら、
わたしといっしょに葛葉さんのところへ帰りましょう……)

眠っている司颯から返事はなかったが、その寝顔が無言の
うちに全てを物語っているように見えた。

【春花】
 「ふふっ……ふあ……あ……」

春花の口からかわいらしい控えめなあくびがこぼれた。

【春花】
  (まあ……わたしとしたことが、はしたないですね……
ごめんなさい)

やすらかな寝顔を見てつい気が緩んでしまったのか、
あくびをしてしまった春花は司颯に謝る。

折りしも朝のさわやかな風が、鎮守の森と池を抜けて
春花たちの頬を撫でるように吹いてきた。
風に合わせて天竜樹の梢がざわざわとさざめく。

【春花】
 (いい風が吹いてきましたね……)

天竜樹に抱かれて、春花も少し眠くなってくる。
司颯を膝枕したままそっと眼を閉じた。

【春花】
  (このまま、わたしも少しお付き合いさせて……くださいな……
おやすみなさい、司颯さん)

天竜樹の梢の緑越しに降り注ぐ柔らかな朝の陽射しと
吹き抜けるさわやかな風の中、ふたりは眠りについた。